見た目で”読みにくい”文章について考えてみた。

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時々「私はこう思う!」系の文章を見ます。

Twitterとか投稿サイトとか、いろんなところで。

でも文章を見てると、「え?」って思うことがあります。

最初にいうと、それは文章のよしあしじゃありません。

文章のよしあしなんて、毎日文章を書いてる人の文章は読みやすいかもしれないし。癖のある文章を書く人もいるだろうし。

それにそういう「文章がおかしい」っていうのは、ひとまず「書かれていることを読んでみて初めて気づくこと」なので、誰かに読んでもらうことはクリアしてます。

私が最近感じたのは、「サイズが小さくて読みにくい……。珍しいフォントを使ってて見づらい……」でした。

主張系文章っていうのは、多くの人に読んでね! 考えてね!! ってことだと思うんですけど。

そこで読みにくい状態にしてるのって、なんでだろう? と疑問に思った次第です。

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見た目で”読みにくい”文章は自分で作ってるものがほとんどだと思う

文章のよしあしの話じゃありません。

文章の表現とか文法のよしあしの話になると、私自身上手じゃないですし、そんなのは「個性」だと思ってるので、文章のよしあしじゃないんです。

私が「え? どうして?」と思うのは、文字の見た目です。

文字の見た目からして、読みにくい文章って、書いてる人自身が作ってるものがほとんどじゃないかなと思ってます。

理由は文字の見た目って、普通にパソコンやスマホや携帯電話で文章を打つなら、ほとんど同じだからです。

そりゃ多少の文字の間の隙間とかは違うかもですが、突飛もなく違うものはあまり見かけません。

少なくとも普通に文字を入力して、いきなりレタリング系の文字が出てくることはありません。

そのパソコンやスマホの持ち主が、基本設定にしてる場合は別ですけど、基本的には文字の見た目って似たようなものです。

その見た目を読みにくいものに変更して作るのが、”読みにくい”文章です。

主張系文章でそれをする理由ってなんだろ。読んでほしいのに読んでほしくないの? と、疑問に思ったわけです。

多分「個性」がほしかったんでは……?

でも「読んでほしくない」は、ないですよ。

Twitterでも投稿サイトでも、自分の主張をあげるのはとても勇気がいることです。その行為をする人が「読んでほしくないから、わざと読みにくい文章で文章を作る」というのは、おかしい。

なので私なりに理由を考えてみて、「個性を出そうとしてるんだよ!」というのが、一番最初に思い浮かんだ理由でした。

フォントの文字を変えたりサイズを変えたり……、うん。個性出ます。

うちのブログだってアイキャッチに、デフォルトの一般的なフォントじゃないフォントを使ってるし。その理由は「かわいいから!」「目立つから!」ですし。

でもなにかを主張する(それをいろんな人に見てもらう)上で、その主張っているのかな……? と、再び疑問が。

だって、言いたいことは全部その文字の見た目じゃなくて、文章の中にあるから。個性を出すなら見た目ではなくて、文章の中にするほうがいいんじゃないかと思います。

結局、”読みにくい”文章は損をしていると思う

読みにくい文章って世の中にあります。

実際、私の文章も読みにくいことがあるだろうし……。

でもその文章が「文体がおかしくて読みにくい」のか「文字のレタリングが読みにくい」のかは、大きな違いだと思います。

文体がおかしくて読みにくいというのは、なんだかんだで文章を読んでもらえてるんですけど。

文字のレタリングが読みにくいっていうのは、文章を読む以前に「あ。これ読みにくいから無理だわ」って思われてるってことなんですよ。

つまり、読まれていない。

何かを伝えたくて文章を書いたのに、見た目で読まれないというのは悲しい。

見た目で読まない人を作るなら、見た目は普通にして読む人を増やしたほうがいいと思います。個性は文章の中に放り込めば、とりあえずいいんじゃないでしょうか。

ちなみにここまで書いてふと思ったのが、「じゃあ、逆にあえて読みにくい文章にして読む人を減らすっていう方法も…………、アリ?」だったんですが。

その方法に活用法あるんですかね、謎です。

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